2007年10月04日
コーチいろいろ
テニス歴に書いたように最初は友達に教えてもらったテニスだが、会社で昼休みやる他に以下のテニススクール遍歴がある。
(1)Yテニススクールでナイターに通う
(2)ハワイのニック・ボリテリテニスアカデミーでアリコーチに3日習う
1人目の妊娠出産
(3)1人目の育児休業中にYテニススクールに通う(母に子供預けた)
2人目の妊娠出産
会社辞めたのでお昼休みテニスがなくなりかなりのブランク
(4)Kテニススクールに通いTコーチにならう、がスクール潰れる
(5)今のテニススクールでRコーチにならう。
(番外)ハワイカイルアラケットクラブでヘッドプロのブルースのレッスン
(6)神様コーチ
(1)の名前も忘れた多分アルバイトコーチは、私がストロークでスピンを打ちたいと言っても
「女性は玉の威力がなくなるから
スピンは打たないほうがいい」
と教えてくれない。
(2)のアリコーチはさすが
アメリカンテニス。
私にスピンを覚えさせようと指導してくれ、
3日間のレッスンで
「なんちゃってスピン」
(残念ながら本当のスピンじゃなく、手首をこねてうつ)を打たせることに成功した。アリのレッスンは、中盤にフォーム撮影があって、ビデオを見ながらの指導がとても印象深かったし、よかった。
また、アリの球出しが、
強烈なスピン回転の高速球で、
さすがアメリカは違うなぁと驚いたもんだ。(タートルベイヒルトンにあったが、今はなくなったはず)
(3)はまったく印象に残ってないなぁ。ヘッドコーチでテニス雑誌にも出る有名な人なんだけど。
(4)のTコーチはテクニック
を教えてくれた。
これは私の財産になってる。
○スピンでショートアングル(左右)
○スライスでショートアングル(左右)
○短い低い玉を手首ワイパーで強烈スピンかけて持ち上げて打つうちかた
○ハイボレーを12時から始まり、9時方向に回すワイパー打ちで打ち込む方法
○スライスロブ(それまでトップスピンロブしか打ったことがなかった)
○スライスリターンダッシュ(チップ&チャージ)
○左に打つスライススマッシュ
○右に打つスマッシュ
○ドロップボレー
○ドライブボレー
(5)は区民大会で
「うまい人が集まっているクラス」
の評判をきき、そこに入ったのだった。(排他的なのもまた評判で、そのため他の人が入らないので人数少なかった。私ももちろん、「ゆとびっちさん他のクラスに移ったら~?」って言われたがそのクラスにい続けた。)
うまい人は本当に強くて、
つなぐボールはミスなくつなぐ。
チャンスボールが来ると、
オープンスペースに強打じゃなく決められる。
そこは、またRコーチが素晴らしく
懇切丁寧な指導。
ルックスもいいし、
受け答えもさわやかで好感度100%。
私はいつのまにか、「うまい人」に関係なく
Rコーチの大ファンに。
しかしたった半年でRコーチは移動になり、しばらくコーチ難民(Wコーチ、Mコーチ。。)に。そして、うまい人のクラスもいるのが辛くなり、他のクラスに。
他のスクールに移ろうか、、、といろんなスクールの体験を受けている時に受付のSさんが「ゆとびっちさんすごいの来ますよ」と引き止めてくれ、神様コーチに出会ったのだ。
Rコーチはその後、また戻ってきたので、今後の記事にも登場する予定。
(番外)リンクされている旅行のページも見てください。
旅行ページには書いてないスクール内容↓
ブルースは腰掛に腰掛けたままの玉だし。10人の生徒。2時間のレッスン。球出し数はすごかった。
4球打つドリルでは打ったあと4球拾ってコーチ横のカゴにいれて戻る、みたいなレッスンで永久に近い球出し。
2人ペアで、コーチがいろんなところに手出しで球出しするのを声を掛け合いながら取るフォーメーション訓練。
生徒同士のダブルスチャンピオンゲーム
(1)Yテニススクールでナイターに通う
(2)ハワイのニック・ボリテリテニスアカデミーでアリコーチに3日習う
1人目の妊娠出産
(3)1人目の育児休業中にYテニススクールに通う(母に子供預けた)
2人目の妊娠出産
会社辞めたのでお昼休みテニスがなくなりかなりのブランク
(4)Kテニススクールに通いTコーチにならう、がスクール潰れる
(5)今のテニススクールでRコーチにならう。
(番外)ハワイカイルアラケットクラブでヘッドプロのブルースのレッスン
(6)神様コーチ
(1)の名前も忘れた多分アルバイトコーチは、私がストロークでスピンを打ちたいと言っても
「女性は玉の威力がなくなるから
スピンは打たないほうがいい」
と教えてくれない。
(2)のアリコーチはさすが
アメリカンテニス。
私にスピンを覚えさせようと指導してくれ、
3日間のレッスンで
「なんちゃってスピン」
(残念ながら本当のスピンじゃなく、手首をこねてうつ)を打たせることに成功した。アリのレッスンは、中盤にフォーム撮影があって、ビデオを見ながらの指導がとても印象深かったし、よかった。
また、アリの球出しが、
強烈なスピン回転の高速球で、
さすがアメリカは違うなぁと驚いたもんだ。(タートルベイヒルトンにあったが、今はなくなったはず)
(3)はまったく印象に残ってないなぁ。ヘッドコーチでテニス雑誌にも出る有名な人なんだけど。
(4)のTコーチはテクニック
を教えてくれた。
これは私の財産になってる。
○スピンでショートアングル(左右)
○スライスでショートアングル(左右)
○短い低い玉を手首ワイパーで強烈スピンかけて持ち上げて打つうちかた
○ハイボレーを12時から始まり、9時方向に回すワイパー打ちで打ち込む方法
○スライスロブ(それまでトップスピンロブしか打ったことがなかった)
○スライスリターンダッシュ(チップ&チャージ)
○左に打つスライススマッシュ
○右に打つスマッシュ
○ドロップボレー
○ドライブボレー
(5)は区民大会で
「うまい人が集まっているクラス」
の評判をきき、そこに入ったのだった。(排他的なのもまた評判で、そのため他の人が入らないので人数少なかった。私ももちろん、「ゆとびっちさん他のクラスに移ったら~?」って言われたがそのクラスにい続けた。)
うまい人は本当に強くて、
つなぐボールはミスなくつなぐ。
チャンスボールが来ると、
オープンスペースに強打じゃなく決められる。
そこは、またRコーチが素晴らしく
懇切丁寧な指導。
ルックスもいいし、
受け答えもさわやかで好感度100%。
私はいつのまにか、「うまい人」に関係なく
Rコーチの大ファンに。
しかしたった半年でRコーチは移動になり、しばらくコーチ難民(Wコーチ、Mコーチ。。)に。そして、うまい人のクラスもいるのが辛くなり、他のクラスに。
他のスクールに移ろうか、、、といろんなスクールの体験を受けている時に受付のSさんが「ゆとびっちさんすごいの来ますよ」と引き止めてくれ、神様コーチに出会ったのだ。
Rコーチはその後、また戻ってきたので、今後の記事にも登場する予定。
(番外)リンクされている旅行のページも見てください。
旅行ページには書いてないスクール内容↓
ブルースは腰掛に腰掛けたままの玉だし。10人の生徒。2時間のレッスン。球出し数はすごかった。
4球打つドリルでは打ったあと4球拾ってコーチ横のカゴにいれて戻る、みたいなレッスンで永久に近い球出し。
2人ペアで、コーチがいろんなところに手出しで球出しするのを声を掛け合いながら取るフォーメーション訓練。
生徒同士のダブルスチャンピオンゲーム
2007年09月27日
テニス歴
テニス歴は長い。といっても、子供の時からはじめたのではなくて会社に入ってからだ。
職場対抗というものがあった。それに出た。
でも、そのときはスポーツ後の飲み会目当て。
本気でやり始めたのは結婚してからだ。
会社にコートがあったので、お昼休みに30分打った。
夫も一緒に始めたので土日に近所のコートでやった。
友達に恵まれていた。
会社に入る前にテニスコーチのアルバイトをしていた友達が2人。
師匠Tは、自らを犠牲にしたような
優しい指導で基本を教えてくれ、
ハワイのニックボリテリに連れて
行ってくれた。
師匠K(旅行記の中国窃盗団エピソードで登場した頼れる後輩です)の
「それは負けです」(ボールを2バウンドで返していたら)
「かまえて!かまえて!」ボレーボレーで1球ごとに激
ボレーでグリップが厚くなると即指摘。
という厳しいコーチング。
私はめきめきうまくなった、、、、んだが、足りないものがあった。
>ストロークと、ボレー、ばっかり練習していた。
サーブの打ち方は、結局教えてもらってなかった。(自分が避けてたかも)
「女子ダブルス」の試合の進め方、これがまったく抜け落ちていた。(男性とばっかりやってたもん)
2人目が幼稚園に入るときに、近所のテニススクールに入った。
平日昼間のテニスデビュー!
一見、すごくうまく見えるらしい。たしかに、ストロークとボレーは、おばテニの中では若干際立っていた。
上級に入れられる。上級では、「サーブの打ち方」なんて教えないのだ。打てるのが当たり前だ。
サーブも、一見打てているように見えたらしい。中学の時ソフトボール部だった。
厚いグリップで上から下に打っていた。
でも、自分の意思でそうしているように思われていて
直されなかった。
女性の玉を打つのが難しかった。待たなきゃいけないし、自分から打たなきゃいけない。
速く打ってはいけないと分かっても、ゆっくりの球を打てなかった。コントロールがめちゃくちゃになる。
ゆっくり打つって難しい。
2年前までの自己評価
上級男性の早い玉を打ち続けていたので
打点が遅れて、スライスで打つしかない球を、根性で手首でこねてスピンをかけていた。そのため、初速に比較して、バウンド後のボールはまったく威力がない玉。
職場対抗というものがあった。それに出た。
でも、そのときはスポーツ後の飲み会目当て。
本気でやり始めたのは結婚してからだ。
会社にコートがあったので、お昼休みに30分打った。
夫も一緒に始めたので土日に近所のコートでやった。
友達に恵まれていた。
会社に入る前にテニスコーチのアルバイトをしていた友達が2人。
師匠Tは、自らを犠牲にしたような
優しい指導で基本を教えてくれ、
ハワイのニックボリテリに連れて
行ってくれた。
師匠K(旅行記の中国窃盗団エピソードで登場した頼れる後輩です)の
「それは負けです」(ボールを2バウンドで返していたら)
「かまえて!かまえて!」ボレーボレーで1球ごとに激
ボレーでグリップが厚くなると即指摘。
という厳しいコーチング。
私はめきめきうまくなった、、、、んだが、足りないものがあった。
>ストロークと、ボレー、ばっかり練習していた。
サーブの打ち方は、結局教えてもらってなかった。(自分が避けてたかも)
「女子ダブルス」の試合の進め方、これがまったく抜け落ちていた。(男性とばっかりやってたもん)
2人目が幼稚園に入るときに、近所のテニススクールに入った。
平日昼間のテニスデビュー!
一見、すごくうまく見えるらしい。たしかに、ストロークとボレーは、おばテニの中では若干際立っていた。
上級に入れられる。上級では、「サーブの打ち方」なんて教えないのだ。打てるのが当たり前だ。
サーブも、一見打てているように見えたらしい。中学の時ソフトボール部だった。
厚いグリップで上から下に打っていた。
でも、自分の意思でそうしているように思われていて
直されなかった。
女性の玉を打つのが難しかった。待たなきゃいけないし、自分から打たなきゃいけない。
速く打ってはいけないと分かっても、ゆっくりの球を打てなかった。コントロールがめちゃくちゃになる。
ゆっくり打つって難しい。
2年前までの自己評価
上級男性の早い玉を打ち続けていたので
打点が遅れて、スライスで打つしかない球を、根性で手首でこねてスピンをかけていた。そのため、初速に比較して、バウンド後のボールはまったく威力がない玉。
2007年09月27日
テニスの神様
2年前
皆には私はテニスがすごく上手く見えたらしい。
それは嬉しいのだが、フェデラーとかのうまさじゃないのだ。
土臭い上手さというのだろうか。
すごく上手く見えてしまうので、テニスに誘われる。
すごく強そうに見えてしまうので、ペアに誘われる。
しかし、私は実は、サーブを習ったことがないし、嫌いで練習したこともなかった。
男性と練習していたので、女子ダブルス(おばテニ)を知らなかった。
女性の無回転の玉になれていなくミスばっかり。
女子ダブルスの試合の組み立てがわかってないので、打つ場所が違う。
打つボールが速過ぎてペアが反応できない(人に言われて気づくまで時間がかかった)。
スクールで、打たないテニスをやっているグループのクラスに入った。
ゆっくりの玉を練習したがコントロールがくずれて相手のチャンスボール。
どうも、基本が駄目なようだと、気づいたとき テニスの神様がやってきた。
やる気があるのかないのかわからないテニスの神様からのお告げのような言葉をキャッチして2年弱。
私のテニスは信じられないくらい生まれ変わった。
今は、泥臭い上手さでなく、ジュニアのような上手さまで成長した。(まだフェデラーにはなれない)
この2年弱を振り返ったり、新しいお告げを書いたりしてみようと思う。
皆には私はテニスがすごく上手く見えたらしい。
それは嬉しいのだが、フェデラーとかのうまさじゃないのだ。
土臭い上手さというのだろうか。
すごく上手く見えてしまうので、テニスに誘われる。
すごく強そうに見えてしまうので、ペアに誘われる。
しかし、私は実は、サーブを習ったことがないし、嫌いで練習したこともなかった。
男性と練習していたので、女子ダブルス(おばテニ)を知らなかった。
女性の無回転の玉になれていなくミスばっかり。
女子ダブルスの試合の組み立てがわかってないので、打つ場所が違う。
打つボールが速過ぎてペアが反応できない(人に言われて気づくまで時間がかかった)。
スクールで、打たないテニスをやっているグループのクラスに入った。
ゆっくりの玉を練習したがコントロールがくずれて相手のチャンスボール。
どうも、基本が駄目なようだと、気づいたとき テニスの神様がやってきた。
やる気があるのかないのかわからないテニスの神様からのお告げのような言葉をキャッチして2年弱。
私のテニスは信じられないくらい生まれ変わった。
今は、泥臭い上手さでなく、ジュニアのような上手さまで成長した。(まだフェデラーにはなれない)
この2年弱を振り返ったり、新しいお告げを書いたりしてみようと思う。